最近見たテレビ番組「ヒューマニエンス」で腸のことを改めて知り、衝撃を受けました。 私達は腸からできている!考えれば確かにそうですね。外から食べ物を取り込んで消化し、エネルギーを作る。残りかすは排泄する。日々この繰り返しです。それを主に担っているのは、腸です。...
この二つの言葉を最近知り、いわゆる依存症的な行動を「サバイバルスキル」と名づけたことに考えさせられました。 ライフスキルは人生を歩んで行くのに欠かせないスキル、一方サバイバルスキルは生き延びるために必死で行うスキルです。...
一般的に、演技するのは俳優さんの仕事、私達はそれを見て楽しむものと考えられています。演技はあまり日常にはそぐわない、作られた世界で行われることという感じでしょうか。 しかし、考えてみれば、演技と言えるものを私達は日頃よく行っています。...
昔、こういう題のフランス映画がありましたね。美しい音楽に乗せて展開する、大人の男女の恋愛映画です。 人間は男と女の2種類、そう私達は信じて来ました。しかし、そんな単純なものではないことが科学的にも明らかになってきています。...
愛着と執着。似ているようで、随分と違った意味合いの言葉です。 愛着は、愛情の流れが続いた結果、対象が心の中に定着したもの。愛着の対象は、身の回りのものすべてに及びますが、人や動物などの身近な存在がすぐ思い浮かびますね。...
優柔不断は、あまりいい意味では使われない言葉です。煮えきらない、ぐずぐずしている、気が弱いなどのイメージがつきまといます。字を見ると、優しい、柔らかいなどの、なかなか好印象の字が並んでいます。しかしながら、その結果として「断つ」、つまり決断することができないわけです。まるで、人間関係のしがらみの中で生きる難しさを表しているような言葉ですね。 例えば、互いに対立しているAチームとBチームがあって、どちらに入るか選択を迫られた時に、両方のチームに友人がいると迷います。自分の意志よりも友人たちとの関係が気になって、決断できないわけです。どちらかに決めると、相手チームの友人を敵に回すかも知れない難しい問題です。チームで自分の力を発揮して活躍したいのが本人の意志のはずですが、迷いますね。 このように、自分のことなのに、なかなか自分を主人公にして決められない事態が人生にはよくあります。これは、Aチームとの友人やBチームとの友人との人間関係がすでにあるため、それを変えていくのが自分一人では難しいためです。それぞれの友人たちと会って事情を話し、了解を得た上で決断するのが一番良いかもしれません。それができない場合、迷った末、どちらにも入らないという選択になって、周りから優柔不断と言われるかもしれません。しかし、友情を大事にするという自分の選択に納得していれば、これも立派な決断です。 問題は、この選択に後悔し続ける場合でしょう。後悔の念が頭から離れず悶々としたり、これがきっかけでその後意欲を失くしたりすると、本当に優柔不断な困った事態になってしまいます。友情も大事ですが、それより自分の活躍の場が欲しかったのに、なぜそう決断できなかったのか、決断力のない弱い人間だと自分を責めます。その時抑えつけた自分の気持ちが治まらず、苦渋の決断をした自分を肯定できないのです。自分の人生の主人公は自分ですから、その自分を肯定できないのは辛いものです。 自分の本音に向き合うことができず、まず周囲の事情や気持ちを考えてしまう傾向があると、このような結果になりがちです。自分の本音に向き合うことは、実は自分に向き合ってくれた親や周囲の人との関係に遡ります。このような関係や経験が乏しいと、自分の本音と向き合い方が分からず、周囲の気持ちや事情を優先しがちです。しかし、置き去りにした自分の本音に後から苦しめられることになります。 多少優柔不断でもいいのです。まず自分の本音と時間をかけて向き合い、次に周囲の事情や気持ちを考えて行くよう、努力してみましょう。自分を主人公にして人生を生きるために。
現状に多少の不満を抱えつつ、何とか日々を送っている私達。その中でも、何かしら自分への不満を抱えて、もっと変化・向上しなければと思いながら暮らしている人も多いのではないでしょうか?...
パブロ・ピカソと岡本太郎、どちらも個性豊かな芸術家です。 ピカソは1881年生まれ、太郎は1911年生まれで、30歳の年齢差があります。太郎は18歳で両親(作家の岡本かの子・漫画家の岡本一平)と渡仏。両親は帰国しましたが、太郎はパリで芸術運動に参加し、パリ大学で哲学・社会学・民俗学を学んでいます。...
私達は、当たり前のように日々を生きており、それを疑うことはほとんどありません。なぜかと言えば、地球の存在に対して、日常が続くことに対して、そして私たちを取り巻く社会や人間関係に対して、安心感・信頼感があるからでしょう。...
今を生きるということは、新型コロナと共に生きること、そんな時代になりました。 人々が親密になる状態は避けて、ソーシャル・ディスタンスと言われる距離を取ることが求められています。これは約2m、互いに手を伸ばせば届く距離ですが、小さな声で話すと聞こえにくいので、親密とは程遠い状態となります。...