昨年注目を集めた、東京都知事小池百合子さんの政治の展開は、「小池劇場」と呼ばれました。「劇場型」といわれ、ドラマのように敵と味方をハッキリさせるこの手法は、一見分かりやすく大衆をひきつけます。私たち観客は感情をかき立てられ、ともすれば、冷静な思考を失いがちです。ドラマ仕立ての限界か、「小池劇場」は途中で失速しましたが、劇場らしくいろいろな役者が登場し、劇が展開していきましたね。
「小池劇場」はさておき、私たちそれぞれの人生も「劇場」と言えるのではないでしょうか?主役はもちろん私たち一人一人ですが、シナリオを作って劇を演出するのも私たちです。この両方を務めなければいけないのが私たちの人生で、よく考えれば、とても大変なことを日々やっていると言えます。
私たちの中の主役と演出家は、互いに助け合い支え合う関係のはずですが、なかなかそうもいきません。こう演じて欲しい、こうすべきだという演出家の指示が出ていても、主役はそうできなかったり、逆に主役が演じていることに演出家の反応がなく、不安になったりします。人生がうまくいかないと感じるとき、よく分析してみれば、私たちの中はこのようにバラバラな状態になっているのかもしれません。
ところで、私たちの中にいる主役と演出家の関係は、どのようにしてできるのでしょう?
前回お話しした、身近な存在との間に起こる投影と取入れの繰り返しで私たちの心の世界が出来ていきます。身近な人との関係や、身近な人同士の関係が、心の中の主役と演出家の関係に取入れられます。互いを認め合う良い関係、敵対関係、支配的な関係、疎遠な関係など。
互いを認め合う良い関係がいつも中心にいれば、心は穏やかに保てそうですが、そうでない関係も入り込んでいます。そもそも互いを本当に認め合う関係とは、敵対関係などの苦しい体験の後に得られることが多いのです。
例えば、自分の怒りを相手に投影すれば、相手も同じような感情を向けてきて関係は悪くなります。怒りはもともと自分の中にあるので、それを投影していることを認めない限り、関係は悪くなるばかりです。もし自分の中の怒りを認めることができたら、今までの自分を振り返り、自分を責め、落ち込みます。この落ち込みの苦しさを経て、初めて、互いを認め合うことができるようになります。落ち込みは、心の危機ではありますが、次のステージへの準備期間でもあるのです。
このような心の体験の繰り返しが、人との関係を変え、私たちの中の主役と演出家の関係も変えていきます。主役と演出家が認め合う良い関係になるにつれ、人生の劇場を自分らしく生き生きと運営していけるようになるでしょう。
最後に、小池さんが先の「小池劇場」から味わった落ち込みを経て、互いを認め合う度量の大きな政治家になられることを期待しましょう。