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「リンゴ追分」と「花束を君に」

 

 『リンゴ追分』は美空ひばりさんが歌った1952年の歌、『花束を君に』は、宇多田ヒカルさんが作詞作曲して歌った2016年の歌です。その隔たりは何と64年、半世紀以上という長さです。

 

しかし、この2曲には共通点があります。両方とも母親を失った悲しみを花に託して歌っていることです。リンゴ追分では「りんごの花びらが風の散ったよな」で始まる歌詞がそれを象徴しています。この歌は、言葉数の少ない歌詞で、「え~~」と長く伸ばしながら起伏する音階の流れが感情の流れとなり、心に染み入ります。また、歌詞ではなく、途中に入るセリフで母親の死が語られ、歌がそのセリフを包み込むような構造になっています。

 

敗戦から7年しか経ってない1952年の日本は、まだまだ大きな喪失感を抱えていたでしょう。リンゴ追分では、美しい花が散る描写と起伏に富んだメロディーが、深い喪失感とそれを癒すような自然の美しさを表現しています。そして、美空ひばりさんの哀愁を帯びて深く包み込む声が、詩の世界を歌いあげています。

 

『花束を君に』は、個人の内面のドラマです。母親の死に言葉を失いながら、懸命に言葉にならない思いを表す言葉を探し続ける主人公。そして「涙色の花束」という象徴的な言葉が生まれます。このドラマを、起伏に富んだメロディーと優しく深い歌声が表現しています。『リンゴ追分』では寄り添ってくれる自然があるのに対し、『花束を君に』では「涙色の花束」は主人公の創作です。それだけに『花束を君に』には深い孤独感があり、「毎日の人知れぬ苦労や寂しみ」という歌詞の表現にもつながっています。

 

喪失は私たちの人生にとって、避けがたい大きな出来事です。かけがえのない存在を失うことは、自分の一部を失うような苦しみとなります。もともと失われている喪失もあります。前回お話しした、親が親の役割を取れない場合など、最初から親を失っている状態です。このように存在はあっても機能していない場合も含め、どのような喪失も激しい苦しみを伴います。喪失に伴う強い不安や虚しさが私たちを蝕み、生きる力が減ってきます。まさに、自分が減った状態です。

 

『リンゴ追分』も『花束を君に』も、喪失の中から生まれ、言葉にならない思いを表現した歌です。それだけに、喪失の辛さに向き合い、寄り添ってくれる深い力を感じます。時間や空間を超えて、今ここに存在してくれる歌たちです。