浦島太郎伝説は、日本のあちこちにあるようです。古くは日本書紀やお伽草子にも登場する物語です。
あらすじはご存知でしょうが、簡単に書きます。
漁師の若者、浦島太郎は、ある日海辺で子供達にいじめられている亀を助けます。数日後、海辺にその亀が現れ、お礼をしたいと言って太郎を背中に乗せ、海中の竜宮城に連れて行きます。そこには美しい乙姫様が待っていて、太郎を歓待してくれます。楽しい日々を過ごすうち、太郎は両親のことを思い出し陸に帰る決心をします。名残を惜しんだ乙姫様は、お土産に玉手箱をくれますが、決して開けてはいけないと言います。竜宮城を後にして、太郎は元の海辺に戻りましたが、会うのは知らない人ばかり。実は長い年月が経っていたのです。途方に暮れた太郎は、思わず玉手箱を開けてしまいます。箱からは白い煙が立ち上り、太郎は白髪のおじいさんになりました。
何とも不思議な気持ちにさせる物語です。せっかく亀を助け、乙姫様にも歓待されたのに、一気に年を取って人生の終末期を迎えるとは!
この物語にはいろいろな解釈があります。あまり解釈しても味気ないものですが、私も考えてみました。
いじめられている亀を助ける、正義感の強い太郎ですが、生きて行く上では思い通りにならないことが多々あるでしょう。魚が取れる日もあり、取れない日もある。両親を抱えて、生活の苦労もあるでしょう。
海の中の竜宮城は、そんな苦労がない、すべて思い通りになり自分が主役になれる世界です。陸の上の世界が現実の世界、海の中の世界が願望の世界と言えます。
私たちには、この両方の世界が必要です。現実の世界はなかなか思い通りにならず自分中心とはいきません。しかし自分を認めてくれる存在や場所(願望の世界)があれば、自分を中心に保つことができます。この両方の世界を行ったり来たりして、心のバランスを取りながら私たちは生きています。
この願望の世界は、乳幼児期にすべてを受け容れてもらった世界に通じます。いわば、私たちの人生の土台と言えます。もし、乳幼児期にこの安心感を得られなかったり、現在の状況において欠乏していると、現実に翻弄されることの多い辛い人生になります。その時、この辛さを麻痺させたり、逃れたりすることを求めるようになるかもしれません。辛さを麻痺させるものはいろいろあります。例えば酒の酔いやギャンブルの刺激など。
浦島太郎の行った竜宮城は、現実の辛さを麻痺させる現実逃避の要素が強かったのかも知れません。酒に酔うと記憶を失くすように、月日の記憶を失くしてしまい、実は長い年月が経っていたのでしょう。
太郎は竜宮城にいた方が幸せだったのでしょうか?私は、歳は取ったとしても、現実に戻れて良かったと思います。思い通りにならないことも含めて、自分の人生を取り戻したのですから。