これは、ドイツの若い哲学者、マルクス・ガブリエルが唱えている考え方です。
現在38歳。あの資本論のマルクスと、天使ガブリエルの組み合わせの名前も壮大ですが、哲学者らしからぬ語りの軽快さも魅力です。名付けて「哲学界のロック・スター」、スケボーでテレビ局のスタジオに登場したりします。
と、ここまでは、テレビのドキュメンタリー番組から得た知識です。
考えてみれば、私たちは確かに「世界」というあいまいな言葉を前提にして生活しています。世界という全体性が存在し、その中に私たちがいるというわけです。それは、私たちが「自分」の存在を考える時にとても分かりやすい設定です。しかし、マルクス・ガブリエルは「世界」という全体性は存在せず、個別の事象が網の目のように重なり合っているだけと言います。
世界という全体を想定したくなるのは、我々を包み込む器として、また我々が活動する舞台として、世界という概念が必要だからでしょう。
例えば「自分」が減った状態の時、「自分」の空っぽさに比べ「世界」はとてつもなく大きく動かしがたいものに思えます。そして「自分」には何の価値もないと感じエネルギーが衰えます。この状態は、本当に苦しく孤独なものです。
この状態から回復し自分が増えてくると、感情がよみがえり、日々努力していることが実感されるようになります。徐々に「世界」に押しつぶされなくなり、エネルギーが湧いてくるようになります。
このように「世界」を想定すると、一見分かりやすいのですが、実は「世界」という言葉に自分の不安や期待を投影しているだけかもしれません。
トランプ大統領の登場以来、〇〇ファーストという言葉が脚光を浴びてきました。トランプ流で〇〇ファーストを成り立たせるには、周囲を攻撃して従わせたり、排除したりする必要があります。それは結局孤立につながり、周囲と断絶した○○ファーストとなります。
では「自分」を減らさず、「自分ファースト」で生きるにはどうしたら良いのでしょうか?周囲を従わせようとする「自分ファースト」は、孤立につながり、結局「自分」が減ることになります。「世界」との対比で「自分」を捉えていると、こうなりやすいかもしれません。そこで、「世界」という想定を手放して、今の自分をありのまま受け容れることが「自分」を減らさないための第一歩となりそうです。ガブリエル氏流に言えば、世界は存在しない、存在するのは今ここにいる自分なのです。
今ここにいる自分を実感し、ありのままの自分を受け容れるという生き方。ありのままの自分という難題がありますが、これが本来の「自分ファースト」ではないでしょうか。