「わかっちゃいるけどやめられない」は、青島幸男さん作詞「スーダラ節」の有名なフレーズです。このフレーズは万人に思い当たる節があるはず。私たちは何と「わかっちゃいるけどやめられない」行動を繰り返してしまうことでしょう。
スーダラ節でやめられないのは酒やギャンブルでしたが、あと5分早く起きれば遅刻しなくて済むのにとか、甘いものを我慢すれば太らないのにとか、わかっちゃいるのにやめられないことは数限りなくあります。これを繰り返すうちに、自分は意志が弱いダメな人間だと思ったり、どうせ他の人もやめられないんだからと言い訳したりします。原因を意志の弱さや、人はやめられないものという一般論に持っていったりするしかないわけです。
「わかっている」のはほぼ理性の領域、「やめられない」のはほぼ感情の領域です。
ちょっと感情を抑えて理性に従えば、万事うまくいくはず。でもそんなに簡単なものではないですね。
感情は私たちの中で瞬間瞬間に湧き起こっている、生きるための大事なエネルギーです。理性の都合で簡単に抑えられるものではないのです。理性は一般的に合理的で正しい考え方で、私たちは成長する環境の中でこの理性を身につけます。一方感情は、理性が身につく前から存在しています。周囲の人がよく相手をして感情を受け止めてやっていると、徐々に自分でコントロールできるようになります。怒り、悲しみなどの難しい感情も、適度に表現し適度に抑えられるようになるのです。
しかし、感情はいつもいつもコントロールできるものではありません。わかっちゃいるけどやめられない時は、ちょっとだけならとか、明日からやめればいいとか考えて、やめたくない感情に譲歩しています。感情がコントロールできなくなっているのです。
子供はコントロールできない感情を大人に受け止めてもらいます。私たちもコントロールできない時は、誰かに話して受け止めてもらうことが必要です。
実は、コントロールできない感情の奥には、傷ついて癒されてない感情や無力感、不安感などが隠れていることがあります。信頼できる人に話すうちに、自分ではなかなか気づかない、このような本当の感情に気づくことがあるのです。この感情の存在が「わかっちゃいるけどやめられない」状態を長引かせている可能性があります。このような感情をわかって受け容れ癒していかないと、「わかっちゃいるけど」問題は解決しないことが多いのです。