これは、1999年に発表された、宇多田ヒカルさんの曲のタイトルです。恋した女の子の気持ちを歌っていますが、揺れ動く心の捉え方が見事です。最初は理性的に「会う必要はない」「変わらない愛情はない」など言っていますが、そう言えば言うほど苦しい、会いたい、この気持ちを「君にaddictedかも」と表現しています。
このaddict(アディクト)という言葉は、英語で「(麻薬・酒などの)依存症にさせる」という意味があります。平たく言えば「病みつきにさせる」ということでしょうか。
日本語ではそもそも「依存する・させる」という表現はあまり使われません。依存するのは心が弱い、良くないこという価値観があるからでしょうか。恋する心を「相手に依存している」という捉え方は、まずしないでしょう。
でも、理性で抑えられない気持ち、気がつけば相手のことばかり考えているのは、まさにaddictedです。最近やっと病気として認められるようになったアルコール依存症、ギャンブル依存症などは、まさに理性で抑えられなくなった感情の病で、addictedの状態です。恋愛においても同じ作用が働いていることを、宇多田ヒカルさんは表現しているのです。
宇多田さんはアメリカと日本の両方の地で育った、いわゆるバイリンガルです。英語と日本語の2言語でものごとを捉え、思考するのです。
自然の中に神が宿るという母性的な優しさに根差した日本では、個人より全体の調和に重きが置かれます。世間が基準になりやすく、他と違うことをとても怖れます。アメリカでは、神という絶対的な存在と個人が対峙します。世間の価値観にどう従うかは個人にかかってきます。他者と向き合うことは、自分の心と向き合うことになるのです。
宇多田さんは、複雑に揺れ動く恋の心と向き合い、addictedという言葉で表現しました。カウンセリングの過程でも、このように自分の心を表現する言葉を見つけていくことが大事になってきます。世間に合うかどうかではなく、ジグザグでも自分は自分の道を歩んで来たことを発見するために、自分の言葉が必要なのです。