建前はそうだけど、本音は違うということはよくありますね。例えば、会社では制服を着ないといけないけど、デザインが嫌で本当は着たくない場合など。この場合、会社は仕事をして給料をもらう場だから我慢しよう、プライベートでは自由な服を着れるからと自分を納得させたりします。
私たちは社会や組織の中で生きているので、その中では建前と本音の使い分けが必要になることが多いですね。最近「忖度」という言葉が流行しましたが、これは建前と本音を分けるより、本音が建前におもねる意味合いが感じられます。
ともあれ私たちは、先のような妥協点を見出して、何とか納得して暮らしているものです。ところが、このような妥協点のないまま、相反する気持ちを持ち続けたらどうでしょう。
例えば、本当は嫌いな人といながら、仲が良いような関係を続けるなどです。相手を嫌いという感情はありながら相手と仲良くする場合、どこかで感情を抑え込んだり、嫌いという感情を持つ自分に問題があると考えたり、嫌いだけど相手と仲良くするしか生きる道がないという無力感を持っていたりします。
このような方法は妥協点、つまり納得には至らず自分を抑え否定することになるので、うつうつとした感情が心にたまってきます。怒りは自分に向かい、楽しいという感情は失われ、自信をなくしていきます。
家庭内で無力な存在である子供は、親との関係で逃げ場がないままこうなることがあります。大人も家庭や職場などの狭い人間関係の中で、一つ間違えればこうなることはよくあります。
ここから抜け出すには、自分を中心に考えて、感情を一本化することが必要です。嫌いという感情が強い時は、相手から離れないと常にその感情にさらされて苦しみます。嫌いだが、相手を認める気持ちがある時は、距離をうまく取れば関係を続けることができるでしょう。
このように対処法はあるのですが、現実はそんなに簡単ではありません。離れることができないままこの関係を続けて、自分が相手を好きか嫌いかさえ分からなくなる、つまり自分の感情が失われて行くことが多いのです。感情を失うと何事も相手次第となり、いつも不安で、自分らしい人生が送れなくなります。
まず、この不安を口に出せる場所があるといいですね。不安や辛さをありのまま口に出して受け容れてもらううちに、自分が何を失ったのか気づいてきます。心の奥底にしまい込んだ感情、自分らしく生きるために必要な感情を、少しずつ自分の手に取り戻すことができるでしょう。