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変わるもの、変わらないもの

現状に多少の不満を抱えつつ、何とか日々を送っている私達。その中でも、何かしら自分への不満を抱えて、もっと変化・向上しなければと思いながら暮らしている人も多いのではないでしょうか?

お金、職業、容姿など、自分への不満は尽きませんが、これは自分をどう考えるかという問題とも言えます。不満の奥には不安があり、これが自分へのネガティブな気持ちとなり、具体的な不満へとつながっている場合もあります。この場合、例えばいくらお金を得たとしても、この不安が減らない限り問題は解消せず、新たな不満が発生することになります。

不安は一度持つと、なかなか解消するものではなく、潜在的に存在し続けます。

不安感を人にぶつけても、そうそう分かってもらえるものでもなく、繰り返すと不安の強い人として嫌がられたりします。そこで、不安から生じる不満を抱えて変化・向上を求めてみますが、うまく行かず別の解消法を探したりします。手近な酒などで一時的に解消することもあり、解消できないまま、繰り返す場合もあるでしょう。

さてこの不安ですが、実はその人の置かれている社会や家族の構造から来ていることも多いものです。

両親との間に気持ちの交流がない、ネグレクトのような状態で育つと、常に不安で相手の顔色ばかり気にするかもしれません。酒や、借金などの問題を抱える家族の尻拭いばかりさせられていると、いつも不安で無力感が強くなります。

このように極端な事例でなくても、不安をもたらす構造の中にいる限り、いくら自分の心を強く持とうと努力しても、不安は消えません。また、自分が我慢して周囲が変わってくれるのを期待しても、いったん出来た構造は変わらないもので、結果的には、この不安に満ちた構造の支え役になっています。

そこで不安を解消して行くには、自分が役割を変え、構造から距離を取ることが必要になってきます。周囲の顔色を見て合わせる役割、尻拭いをする役割、つまり自分を抑えて殺している役割をやめ、自分を生かせる新たな役割を模索し、構造から距離を取るのです。

距離を取ることは周囲に迷惑をかけ、自分も役割を失うと思われ、とても不安です。しかし、思い切ってノーを言って離れると、自分は構造に支配されて不安だったことが分かってきます。自分らしく生きたいという大切な欲求を抑えたまま、苦しく不安だったのです。

 

簡単には変わらないのは私たちが生きている社会や家族の構造ですが、自分の役割を変えていくことはできます。その中で変わらないのは、自分を抑えることなく表現して生きたいと願う私達の心です。