· 

優柔不断

優柔不断は、あまりいい意味では使われない言葉です。煮えきらない、ぐずぐずしている、気が弱いなどのイメージがつきまといます。字を見ると、優しい、柔らかいなどの、なかなか好印象の字が並んでいます。しかしながら、その結果として「断つ」、つまり決断することができないわけです。まるで、人間関係のしがらみの中で生きる難しさを表しているような言葉ですね。

例えば、互いに対立しているAチームとBチームがあって、どちらに入るか選択を迫られた時に、両方のチームに友人がいると迷います。自分の意志よりも友人たちとの関係が気になって、決断できないわけです。どちらかに決めると、相手チームの友人を敵に回すかも知れない難しい問題です。チームで自分の力を発揮して活躍したいのが本人の意志のはずですが、迷いますね。

このように、自分のことなのに、なかなか自分を主人公にして決められない事態が人生にはよくあります。これは、Aチームとの友人やBチームとの友人との人間関係がすでにあるため、それを変えていくのが自分一人では難しいためです。それぞれの友人たちと会って事情を話し、了解を得た上で決断するのが一番良いかもしれません。それができない場合、迷った末、どちらにも入らないという選択になって、周りから優柔不断と言われるかもしれません。しかし、友情を大事にするという自分の選択に納得していれば、これも立派な決断です。

問題は、この選択に後悔し続ける場合でしょう。後悔の念が頭から離れず悶々としたり、これがきっかけでその後意欲を失くしたりすると、本当に優柔不断な困った事態になってしまいます。友情も大事ですが、それより自分の活躍の場が欲しかったのに、なぜそう決断できなかったのか、決断力のない弱い人間だと自分を責めます。その時抑えつけた自分の気持ちが治まらず、苦渋の決断をした自分を肯定できないのです。自分の人生の主人公は自分ですから、その自分を肯定できないのは辛いものです。

自分の本音に向き合うことができず、まず周囲の事情や気持ちを考えてしまう傾向があると、このような結果になりがちです。自分の本音に向き合うことは、実は自分に向き合ってくれた親や周囲の人との関係に遡ります。このような関係や経験が乏しいと、自分の本音と向き合い方が分からず、周囲の気持ちや事情を優先しがちです。しかし、置き去りにした自分の本音に後から苦しめられることになります。

 

多少優柔不断でもいいのです。まず自分の本音と時間をかけて向き合い、次に周囲の事情や気持ちを考えて行くよう、努力してみましょう。自分を主人公にして人生を生きるために。