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愛着と執着

愛着と執着。似ているようで、随分と違った意味合いの言葉です。

愛着は、愛情の流れが続いた結果、対象が心の中に定着したもの。愛着の対象は、身の回りのものすべてに及びますが、人や動物などの身近な存在がすぐ思い浮かびますね。

執着は愛着と一見似ていますが、心に不安があり、それを紛らすために対象に向ける気持ちです。このため強いとらわれがあり、自分の都合で相手を支配しようとします。

愛着の感情は、身近な家族や親しい友人、ペット、仕事、趣味など、多々ある対象と関係を続けていくうちに、自然に育ってきます。人は様々な愛着を育みながら人生を送り、時に喪失が襲ってきも、愛着の対象や気持ちに支えられ生きて行きます。このように、愛着は周囲との関係を育み、自分を支えてくれる、人生に不可欠のものです。愛着を持てない人生は、味気ない虚しいものになります。

執着はこのような愛着を持てない場合に、その不安が形になったものかも知れません。不安が大もとにあるため、強くとらわれてしまい、満足することができません。お金への執着の場合、いくらお金を手に入れても満足できず、お金を有効に使うこともできません。親が子供に執着すると、思い通りコントロールしようとして子供の自立を阻みます。

いったん執着が始まると、分かっていても、なかなか止めることができないものです。その人の抱える不安、傷つき、自信のなさなどが執着となって現れるので、執着だけをやめようとしても難しいのです。

この不安、傷つき、自信のなさなどは、よく考えれば愛着が欠乏した状態と言えます。つまり執着の問題は、愛着の問題でもあるのです。

執着は本人も辛いし、執着を向けられる相手も辛いもので、人生の大きな問題です。そこで執着から離れて愛着を育むためには、執着の奥にある不安や傷つきを癒していくことが大切です。

 

この癒しこそが執着を捨てる力になります。癒されるにつれ、じわじわと流れが変わり、執着が愛着に変わる人生の転機がやってきます。