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演技する心

一般的に、演技するのは俳優さんの仕事、私達はそれを見て楽しむものと考えられています。演技はあまり日常にはそぐわない、作られた世界で行われることという感じでしょうか。

しかし、考えてみれば、演技と言えるものを私達は日頃よく行っています。

人前での挨拶を頼まれれば、原稿を書いて、どのようなトーンや速度、言い回しで読んだらいいか、何度も練習します。人に大事なお願いをする時、厳しい上司に報告する時など、頭の中で言葉を考え場面をシミュレーションした後、それでも緊張しながら話します。何気なく喋っている日常からすれば、これらはまさに舞台の上で演技しているようなものです。

俳優さんの演技と共通するのは、どのように演じれば相手(観客)に伝わるか、そのためにどのように表現したらよいか懸命に考え表現しようとすることでしょう。そのためには、日頃にないような口調で話したり、日頃より大きな声を出してみたり、相手(役)を理解する努力をしたり、試行錯誤を繰り返します。

このように相手に自分を分かってもらうための努力がここ一番で発揮され、相手に伝わる表現(演技)となるのです。

ところで、家庭が不和の場合、子供は両親の顔色をうかがい、家庭内の緊張を和らげ平和になるような言動をすることがよく見られます。面白いことを言って周囲を和まそうとしたり、頑張り屋の良い子でいたり、親の代わりに家事をしたりと。

これは家庭を安心できる平和な場所にすることを目的とした演技で、本来の子どもが子供らしく遊んだり勉強したりするのとは全く違った行動です。

この演技は残念ながらなかなか目的に達しません。しかし子供達は演技を続けます。不安に満ちた家庭内で、この演技をしている時は、一見家庭を健康に見せ、崩壊を食い止めているようにも思えるからです。そして、この演技は周囲からは評価され、しっかりしたいい子と言われます。

しかし肝心の家庭内で本当に受け容れられ、家庭が平和になることはほぼありません。両親の不和は両親の問題だからです。

こんなに頑張って演技したのに家庭を平和にできず、しかも自分本来の欲求である子供らしい過ごし方もできなかったとなると、自分に取って何も良いものが残らなかったことになります。自分本来の欲求は何であったかも分からなくなり、自信が持てなくなります。

本来の自分をキープした上で、必要に応じて行うのが健康的な演技といえるでしょう。それなのに、本来の自分を顧みず演技せざるを得なかった不幸な状況にいたのです。

このような演技を続けるうちに、それが身についてしまい、本当の自分が生き辛さを感じ悲鳴を上げます。自分の中が二つに分断された状態です。一度分断されると、現在のアメリカと同じように修復はなかなか大変です。

演技を今度は自分のために、本来の自分に声をかけてやり認めてやる方向に転換することがまず必要です。不幸な状況を支えるために演技するのが自分の役割でなく、自分の人生を生きることが自分の役割なのですから。