人生を生きる喜びは多種多様です。美味しいものを食べたり、美しいものを見たり、好きな人と一緒に過ごしたりと、ささやかな喜びから大きな喜びまで、多岐にわたっています。
今まで分からなかったことが分かるのも、深く大きな喜びです。分からないことが分からない間は、大きな壁にぶつかったように悶々と悩みます。悩み続けた末、ふとしたきっかけで分かった時の喜びは、一気に壁が崩れたような爽快なものです。
分かった途端、分かったことが当たり前の世界に変化し、次の分からないものへとテーマが進み始めます。このように、一つ一つ分かることで、人は前に進んで行くのです。
ここに分かり合えない親子がいるとします。子供は自分が抱える不安を、親に分かってもらうことで和らげようとします。子供はテストの結果を見せ、自分を分かってもらい、褒めてもらおうとします。
でも親が、不安を見せる子どもを叱ったり、テストの結果を一方的にけなしたりすれば、子供は傷ついて、今後は本当の気持ちを語らず、テストも見せなくなるかも知れません。そして、分かってもらえない、寂しさ、虚しさ、怒りなどが残り、何とか分かってもらいたい気持ちを心の奥に抱えて行くようになります。
対象が変わる度に、今度こそは分かってもらえるのではないかと期待しつつ、傷つくことを怖れて気持ちを出せません。分かってもらえないのは自分が悪いのではないかと考え、率直な気持ちを言えず、相手に合わせて尽くすことで分かってもらおうとします。これでは、奥に抱える寂しさや虚しさを分かってもらうことは困難です。
こうして分かってもうことができないまま、自分を信じることができず、何かに依存してしまうことも多いものです。
人は分かってもらうことで、自分を肯定し受け容れることができます。自分を分かり受け容れて行くことは、生きるため最も必要なことです。
決して自分を否定されない場所や人があれば、徐々に自分を分かって受け容れることができるようになります。その時、今までいた不安な世界から分かれて、自分らしく生きられる世界へと一歩ずつ歩み始めるのです。