· 

子供も大人も

子供は理解力に乏しく、不完全な存在だと看なされがちです。また、子供は苦労を知らない純粋な心を持っているとも。

しかし、それは子供の小さな外見に惑わされての考えではないでしょうか。

私達の子供時代を振り返ってみましょう。のびのびと振る舞える楽しい時もありましたが、親や大人たちの顔色をうかがう場面も多かったのではないでしょうか。大人たちの反応を見て、自分が生きて行くには、どのような態度を取ったらよいか、自動的に考えていたはずです。

大切な大人の反応が毎回異なる場合、つまり感情任せなどの場合、子供は相手の反応に合わせてしまうため、一貫した考えを持つことはできません。自分の考えを持てないと、社会でも相手に合わせることしかできず、人間関係を作るのが難しくなります。

また、両親の不和などが続くと、子供は自分に原因があると自分を責めるようになります。子供はまだ一人では生きて行けない存在であり、そのため情況を客観的に見ることができません。この辛い情況の責任は自分にあり、自分が良い子になれば情況が変わるのではないかと、子供なりに必死の思考をするのです。

人生を生きている存在であるということでは、子供も大人も同じです。置かれた情況を自分なりに理解して、よりよく生きようとするところも同じです。

ただ、大人がその情況に責任が持てず、自分の痛みにばかり捉われていると、子供は情況に責任を持たされることになります。引き受ける力もないのに責任を背負った子供は、アダルトチルドレンと言われ、あとあとその無理が祟って苦しむことになります。

 

子供も大人も、自分の情況を客観的に知る権利、周囲から押しつけられることなく自分の欲求や考えに従って生きる権利があります。一番難しく、一番大事な権利です。