前回は、「罪悪感はいらない」ことがテーマでしたが、今回はその続きです。
自分を否定してくる罪悪感は、自分にとって全く有害なものですが、なぜそのような罪悪感が生まれるのでしょう?それは、心の中に常に不安を煽り、自分を否定し続ける、もう一人の自分がいるからです。
このもう一人の自分を名づけて「超自我」と言います。
普通、超自我とは、自分の上から自分を見て、叱ったり、規範を示唆したり、励ましたりする存在で、いわば親のようなものです。この超自我のおかげで、私達は自分を律して努力し、時に不安になっても安心感を持って生きて行けるのです。
しかし、常に不安を煽り、否定する超自我では、どのように努力しても安心できません。このような超自我を「過酷な超自我」と言います。
この過酷な超自我のもとでは、私達は奴隷のような存在となり、人生の主役になることができません。主役はこの過酷な超自我で、何とか肯定してもらおうと必死に従うのが私達の自我という関係です。
しかし、この超自我は、努力しても全く認めてくれることはありません。その結果、いつまでも不安で自信が持てず、主役になることができないのです。
この過酷な超自我が心の中にできる場合、親的な存在が不在だったり、親も過酷な超自我に苦しめられ子供に愛情を持てなかったりと、なんらかの愛情不足が背景にあることが多いのです。愛情不足から生じる不安、生き辛さが過酷な超自我となって自分を追い詰めます。
過酷な超自我の支配から逃れ、自分が人生の主人公になるには、どうしたら良いのでしょう?
過酷な超自我と自分との間に、もう一人の自分を作ることが必要です。過酷な超自我から自分を守り、決して自分を否定せず、ちょっとしたことでも自分を認めてくれる、そのような自分です。過酷な超自我に痛めつけられてきた自分ですから、おおいに認めて癒してやる必要があるのです。
自分に優しくするなんて、自分を堕落させるだけだと言われそうですね。でも、人には優しくしないといけないことは、誰しも認めていることです。自分も、その人の一人です。
自分を否定せず、優しく認めることでしか、生きて行くための安心感は得られません。安心感が得られれば、過酷な超自我に支配されることなく、人生の主役になれるのです。