子供が産まれてしばらくして始めること、それは遊びです。手足を動かし、身体全体で伸びをすることから遊びは始まります。
目が見えるようになると、吊るされた遊具を目で追って喜びます。歩けるようになれば、遊びは広がります。歩いたり走ったり、お気に入りのおもちゃを集めたり、ぬいぐるみを抱きしめて、どこにでも連れて行ったりします。
きょうだいや友達と遊ぶようになると、競争の面白さを知り、勝つための工夫や道具作りに熱中します。また、アニメや物語の世界に自分を投影して、引き込まれたりします。
子供の成長は遊びと共にあるのです。これは遊びを通じた、心の表現・成長とも言えます。遊びは生涯続きます。
吉本隆明は、社会とは私達の共同幻想であると言いました。私達は家庭から始まり社会へと続く共同幻想の世界を、遊びに自分を仮託して生きているのです。
勉強や仕事も遊びなのかと疑問に思われるでしょうが、勉強や仕事は共同幻想を維持する骨格の部分であり、集中力や忍耐力、想像力や創造性という総合的な力を要する遊びと言えます。
問題は、遊びを覚えられなかった場合です。
遊びは、この大地が安定して十分私達を受け止めてくれる時に可能です。幼少時、家庭内が不安定で不安に満ちていた場合、周囲の気配ばかりうかがって遊ぶことが十分できません。その結果、自分を表現できず、押し込めてしまうのです。
遊びができないと、自分を表現する方法が分からず周囲に合わせる生き方になり、生きることへの不安感をいつも抱えるようになります。
遊びをこの手に取り戻すためには、不安な世界を一生懸命生きて来た自分を、まず認めてやることが必要です。ここからが出発です。見返りを求めず、一生懸命没頭する遊びの醍醐味を少しずつ味わって行きましょう。
生きることは遊ぶこと、自分を認めて肯定することができれば、けっこう日々は遊びに満ちていることが分かります。