共感は、相手の考えや気持ちに自分と同じものを見出し、同一化するもの。相手との結びつきを感じ、思いやりや安心感を覚え、自分が強く豊かになった気がします。
依存は、相手によって自分の不安や欠乏感、虚しさなどを埋めようとするもの。自分の問題解消のため、相手を道具にするため、真の結びつきではなく、相手には負担となります。また、本当の問題解消にはならず、一時的な効果しかないため、依存は繰り返されて行きます。
他者と共感の多い生活では、自分の中に、大人、子供を始め、多くの人々がいて、自分を中心に自然と調和しています。その調和は両親や家族との関係が内面化されたもので、多少の不安や不満も包摂され安定感があります。
調和がない関係の中では、常に不安の解消がされないまま、一人で不安を抱え込んだり、周囲に攻撃的になったりして、不安が増幅します。心の中には、孤独な自分を中心に、子供であれ、大人であれ、自分と真のつながりのない人々がいて、対立や無関心、恨み、虚しさなど、互いを分断するようなネガティブな感情が満ちています。
この苦しい心の解消を求めて依存したくなるのです。しかし、先に述べたように、依存は一時的な解消しかできず、根本的な問題解決にはなりません。
この調和のない心を抱える苦しみに対し、まず理解と共感を得て癒されることが必要です。
関係性が持てない苦しい環境にいることは、自分のせいではありません。しかし、共感されることによって、自分も共感を覚え、新たな人間関係を作って行くことができます。
依存で手っ取り早く埋めていた穴を、共感的な関係の中で、自分を認めてやると、自分の辛さに共感できるようになります。自分との新たな、良い関係作りが始まるのです。