「エデンの東」は1955年のアメリカ映画ですから、今から68年も前の映画です。
旧約聖書のカインとアベルの兄弟の物語(兄カインが嫉妬から弟アベルを殺し、楽園のエデンを出て東の地に去る)を下敷きに書かれた、J・スタインベックの小説を映画化したものです。
主演のキャル(聖書ではカイン)役のジェイムス・ディーンを、一躍有名にした映画でもあります。
父親から愛されない、寂しく粗暴なキャルと、優等生で父親から愛されるアロン(聖書ではアベル)の兄弟がいます。父親は敬虔なクリスチャンで、善と悪を厳しく分けます。アロンは善、キャルは悪です。
キャルは死んだと聞かされていた母親を探し、貨車の天蓋に飛び乗って会いに行きます。その女性は怪しげな酒場を経営しており、母親であることを否定し、キャルを追い返します。その頃、事業で大損をした父親を助けようと、キャルは母親(その後母親であることを認めた)から金を借りて成功しますが、父親に戦争で儲けたと非難され、金を受け取ってもらえません。失意のキャルは、アロンと大喧嘩し、彼を母親の所に連れて行きます。母親の姿にショックを受けたアロンは戦争に志願して出兵し、止めようとした父親は脳卒中で倒れます。最後は、アロンの元恋人で、キャルの恋人になったアブラの仲介で、父親はキャルを認めます。聖書とは違った展開です。
そもそも、父親の善か悪かの二分法が、家族を引き裂いていきました。母親はそんな価値観を押し付ける夫から逃れようと、家を出たのです。
キャルは、愛されない自分に苦しみ、母親を探します。そして、母親の力を借りて、父親に愛される努力をします。それでも、父親の善か悪かの二分法的見方は変わりません。父親は、目の前の、親の愛を一生懸命願うキャルを見るのではなく、自分の価値観を投影したキャルを見るのです。
家族の中心メンバーがこのような偏狭な価値観を持っていると、価値観に合わせられない家族は居場所を失い、自分や家庭を壊そうとしたり、別の居場所を探そうとします。父親もまた愛に恵まれず、そんな価値観しか持てなかったのかもしれません。恋人のアブラは、このような家族の治療者の役割をしたのでしょう。
承認欲求や寂しさを抱えながら、懸命に生きるキャルの姿は、私達と重なります。ジェイムス・ディーンの好演も相まって、年月は経ても、私達を惹きつけ考えさせられる映画です。