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源氏物語

今年の大河ドラマは、平安時代の小説「源氏物語」の作者、紫式部が主人公です。偉大な長編小説を書いたにもかかわらず、資料の乏しいこの女性をドラマでどう描くか、興味が持たれます。

ところで、この「源氏物語」という小説は、何をテーマにしているのでしょうか?

江戸時代の国学者・本居宣長は、「もののあわれ」という言葉を用いて、常ならない人の世や自然へのしみじみとした心が、この小説の底に流れていると考えました。「もののあわれ」とは何とも奥深い表現ですが、私は主人公の生き方から具体的に考えてみました。

ストーリーはご存知の方も多いでしょう。

主人公の光源氏は、天皇の皇子で、おまけに美貌と才能すべてを兼ね備えています。しかし、母親の桐壷は、源氏を出産後亡くなってしまいました。母親の愛を知らない源氏は、桐壷の面影を求めて、多くの女性達と交際します。そして、桐壷そっくりと言われる義母と密会して子供が産まれ、強い罪悪感が残ります。

この後も、義母にそっくりな少女を引き取って、成長後妻としますが、他の女性との交際は止むことがありません。社会的には、多少の挫折はありながら、源氏は栄華を極めます。しかし、妻・紫の上は源氏の女性関係に苦しみ、病気になって亡くなります。また、源氏の若い妻・女三宮は、他の男に言い寄られ子供を産みます。

一見華やかな絵巻物のように見えて、実に複雑なドラマです。このドラマの底流には、常に源氏の抱える喪失感(母親)が、流れているように思えます。

この喪失感を他の女性で埋めようと接近し、強い期待感高揚感が生まれます。そこで、喪失が埋まったような錯覚が起きるのです。しかし、交際が始まると現実に戻り、期待感高揚感は消えて行き、喪失感がよみがえります。

このように、内面の喪失は、外から埋めることはできません。源氏の心の中にいる、母親を求めて泣く子供と、辛抱強く向き合ってやらないといけないのです。

また、義母と通じた源氏の罪は、当事者たちが抱えた込んだまま、うやむやにされました。解決していないこの問題が、源氏の若い妻と他の男との間で繰り返されます。

喪失を抱えたまま、喪失を繰り返し、さらに解決していない問題が、繰り返されていくドラマです。「もののあわれ」と言うべきでしょうか。

 

源氏物語は、このように人間の真実を深く捉えて表現しているからこそ、時代が変わっても色あせず、私達を引きつけるのかも知れません。