中国の有名な史書「魏書」の中の倭人の条、いわゆる魏志倭人伝に2世紀から3世紀にかけての日本(当時は倭)について書かれています。
当時倭国は30余りの国に分かれて争い、倭国大乱と呼ばれる事態に至りましたが、卑弥呼という女性をリーダーとして共立し、争いは終わったそうです。卑弥呼は鬼道(占い)を行う、巫女のような存在だったとされています。
私達が占いに頼る時は、強い不安を抱えていたり、迷って決断ができなかったりして、何とか方向性を見出したいという切実な思いがあります。人気のある占い師さんは、そのような客の話に親身に耳を傾け占います。話を聞いてもらっただけでも、ある程度の安心感が持てるでしょう。占いは当たるも八卦当たらぬも八卦なので、結果よりも占い師さんが真剣に向き合い占ってくれたことが大事なのです。
卑弥呼も、社会が抱える願望や不安感を敏感に捉え、皆が安心・納得できるような占いをしたのでしょう。
人を動かすのは感情です。争いはネガティブな感情から始まります。一度抱いたネガティブな感情を人はなかなか払拭できません。その感情が他者に向かい攻撃的になったり、自分に向かい自責感となり、自信を失くします。そのような感情もすべて卑弥呼に委ねたのでしょうか。
卑弥呼はほとんど人と会わず、姿を見られることもなく、強い神秘性とカリスマ性を持っていたようです。俗なる見解を越えた、聖なる見解を示してくれるという期待感も抱かせたでしょう。
このように、倭国の人々が自分達を超える存在を設定し、争いを避けた発想には感心します。日本という国の成り立ちにも、このような考え方が働いていたのかもしれません。
自分を超える存在は、個々の私達にも必要です。自分を超えた何か(自然なり、考え方なり、尊敬する人なり、宗教なり)を心に持てることが、不安に惑わされず、日々を肯定して生きるために大事なことではないでしょうか。