ひと頃の漫才ブームほどではなくとも、漫才は今や芸能の中に確かな位置を占めています。漫才に憧れ、職業として目指す若者達も多くなりました。
漫才師は、自分達で脚本を書くことが多く、それをボケとツッコミの役割に分かれて実演します。テーマも様々ですが、全くの空想ではなく、現実世界を下敷きに、視点をずらせたり、全く違う視点からとらえて、ボケたりツッコンだりして笑いに変えて行きます。「今」をどう捉えるかが一番のテーマですから、クリエイティブで、かつ、努力とセンスが必要です。
面白い漫才では、私達がもやもやしていた人や社会や政治の事象を、全く違う視点を提供して笑いに変えてくれます。私は、この漫才の要素がどの集団にも必要で、特に家庭に必要と思います。社会で味わう苦労の数々を、家庭でちょっと違った視点で漫才にすると、肩の力が抜けてふっと笑えるかもしれません。
ものごとを絶対化すると、一つでもうまくいかないと追い詰められますが、どこか相対化しながら取り組めば、結果がうまく出なくても、追い詰められることは少ないでしょう。家族の中でも、ボケ役とツッコミ役を取り合い漫才にして、ものごとを相対化してみるのです。
そもそも、家族は互いの文化が違う同士の結婚から始まることが多いものです。相対化し合って、互いの文化を認めた結果、徐々に融合していくものでしょう。
ボケとツッコミの漫才は自然とできるものではなく、日々お互いを認め合い、ともに考えるという、相互理解と思いやりを育てる過程でもあります。