
生きているのは自分、だから自分の人生・・・果たしてそうでしょうか?
例えば、24時間、人に行動を管理され、自分の意志は全く通らない情況にいて、これも自分の人生と言えるでしょうか?
昔のアメリカでは、黒人奴隷は主人の命令でただ働くだけでした。自由に声も上げられない情況では、自分の人生とは言えないでしょう。
ところで、一見うまく行っているように見えても、自分の人生を奪われている人はいるものです。
例えば、親が子供の教育に一生懸命で、子供もそれに応えて勉強に励んでいる場合、双方の意志が一致していれば、良い親子関係です。しかし、親が成績のみを評価する価値観を押し付けているとしたら、子供は自分の意志よりも、押し付けられた価値観に従って勉強しているだけかもしれません。
このように、自分の人生を生きてないと、いつも不安で緊張しています。自分の考えでなく、相手や周囲に合わせないといけないので、不安で緊張するのです。
どのような家庭や社会に生まれるか、人は選べません。
抑圧が強く、自分の意志が持てない家庭や社会の場合、自分の人生を生きるためには、何とかその構造から一歩出る、つまり家庭や社会から一歩でも離れることが必要です。物理的にでも、精神的にでも。
一度できてしまった構造を変えることは困難ですが、離れることで、自分が捉われていた構造が見えてきます。また人が離れて行くことで、構造が変わるきっかけになることもあります。
離れることは、自分の意志を持つ第一歩です。
いつも不安で緊張し、生きることが楽しくない時は、自分を責めないで、自分がどういう構造の中で生きているかに気づいていくことが大事なのです。