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2022年 · 26日 7月 2022
前回は、「罪悪感はいらない」ことがテーマでしたが、今回はその続きです。 自分を否定してくる罪悪感は、自分にとって全く有害なものですが、なぜそのような罪悪感が生まれるのでしょう?それは、心の中に常に不安を煽り、自分を否定し続ける、もう一人の自分がいるからです。 このもう一人の自分を名づけて「超自我」と言います。...
2022年 · 11日 7月 2022
私達は日頃、周囲の状況に応じて反応し、行動していると思いがちです。しかし、まず自分の心を周囲に投影し、それをまた受け取って反応するという、心の投影・取入れをして生きているのです。物悲しい気分を投影すると、周囲にあまり色彩が感じられず、世界が沈んでいるように思えたり、逆にうれしい気分を投影すると、些細なことがらも良い兆しのように感じられたりします。 心に罪悪感を抱えていると、周囲は幸せな雰囲気でも、それが伝わらず、感情が湧いてきません。自分を責めたり否定したりして、世界から取り残されたような気分、強い孤独感に見舞われます。 特に、意識しないまま抱えてしまった罪悪感があると、自分の考えに自信が持てません。そのため、自分で考えてものごとを進めるのは困難ですが、人のサポートは何とかできます。しかし、サポートした人や周囲が、自分を認めてくれないと苦しくなります。罪悪感のため自信が持てず、人に保証してもらう必要があるのです。 このような罪悪感を抱えていると、自分の人生でありながら、自分を主人公にして生きることができないという事態になります。 この罪悪感は、どうして生まれてしまったのでしょう。 例えば、家庭や学校、職場など、自分が所属している集団の中に対立があり、自分の居場所がなかったり、攻撃されたりするとします。集団の中で力の弱い存在の場合、このような辛い状態に陥ったことに対し、自分の力のなさを責め罪悪感が生まれることがあります。 一度生まれた罪悪感はそのまま心に居続け、ことあるごとに出て来て自分を責めます。次第にやる気と自信を失わせ、生きている実感も乏しくなってきます。 この罪悪感は、いわれなく持たされた罪悪感で、実際は集団の問題だったのです。生きるのが苦しい時、このような、いわれのない罪悪感を抱え込んでいるかも知れません。 もちろん、自分都合で他者を傷つけたと感じた時に覚える罪悪感は大切な罪悪感で、向き合って越えて行くしかないものです。苦しくても、あくまで主人公は自分です。 これに対し、いわれのない罪悪感は、自分の人生を奪い取る罪悪感と言えます。この罪悪感は「いらない」のです。